楽しいことが増えるといい
子どもは2歳5ヶ月になった。育児はしんどいしんどいと思い続けてきたけど、ここ1ヶ月で急に楽になった。中断せずに夕食を作り終えることができる日が増えてきて(もしかして……とうとう私の時代がやってきたか……)と思うことがある。
そういうわけで、パソコンを買ってもらった。それで試しにこれを書いている。やったね。これで何か楽しいことができたらいいな。
6ヶ月経ちました
予定日の前日に破水し、緊急帝王切開にて双子の女の子を出産しました。結局夫と同じ誕生日。
産後しばらくは本当に苛酷でした。一番は妊娠中の体のダメージが大きかったこと、全然眠れない・休めなかったこと。健康ならやれるんだけど…と思いつつ、というか、不健康でもやるしかなくて、最初の3ヶ月の記憶がすでに曖昧です。その頃は常にだれかを抱っこ、抱っこじゃないほうが大泣きという状態だったので、机の上の箱を開けたいと思いながら、一日開けられない日が続いたことを覚えています。
その時の自分には6ヶ月ではブログを書いてるよと伝えたい。夫と、子どもの成長にたすけられて、本当にだいぶ落ち着いてきました。どのくらいの頻度になるかわからないけれど、ちょこちょこ書いていきたいと思います。
残された二週間
早いもので、あと二週間すれば子どもたちに会える。ここまで順調に過ごせると思っていなかった。いつも私の状態を最優先してくれた夫、長期にわたって衣食住全ての面倒を見てくれた母、退職時に最大限の配慮をしてくれた会社に感謝である。これから出産までの時間は、覚悟を決める時間として静かに使いたい。
2014年10月、近況
福岡に帰っています
事情があり、先月末から半年ほどの予定で単身福岡で暮らすことに。実家なので単身とは言わないですね。
帰省の予定日、これから飛行機に乗るからと母に電話をして嫌な予感がした。何か違和感がある。何かあったに違いないと思っていたら、案の定祖母の具合が悪いとのことだった。落ち着いて見せようとしていたが、母はかなり動揺していた。
到着したその足で病院に向かうと、祖母は辛うじて意識があるという状態だった。あと何日でふみちゃんが帰ってくるからね、と母に聞かせられていたらしい祖母は、私が帰ったその二日後に亡くなった。私を待ってくれていたのだろうと思った。
私は19年前に父を亡くした。今回祖母を亡くし、大切な人を亡くす悲しさは決して慣れることはない、でもその時その相手によって違う形の感情があるのだなということを実感した。今、自分にはたくさんの大切な人がいる。その数の分だけ、私はこれからも何度も別れを経験するのだろう。これから経験する別れが残す側なのか残される側なのかはわからない。いずれにしても、こんな思いをするかさせるかを繰り返して生きなければならないなんて、人生は過酷なものだなと思った。19年前には感じなかったことだ。
無事葬式を終え、色んな片付けをしながら実家で母と過ごしている。母は私がいて気が紛れているようだ。そう思うことで私も支えられている。よかったなと思っている。生まれた以上、生きるしかないからね。こうやって生きていくんだろう。
ベーグルの旅
ベーグルの旅が続いています…
色々なお店のベーグルを食べてみたら、思いのほか柔らかい。ふわっとしていて、もちっとしている。むちっとしているものもある。(『ふわっと』はともかく『もちっと』と『むちっと』という言葉はかなり伝わりづらいと思うんだけど、皆それを使っているし、私も他に上手く表現できる言葉を思いつけない…)
それで、私も色々調べてふわっとするように作ってみた。
それで、確かにふわっとしたんだけど、あまりむちっとしていないんです。普通のパンみたい。おいしいにはおいしいんだけど…。
私が買ったベーグルやさんの厨房をちょっと覗いたらそんなに特別な器具は使っていそうもなかったので「家で作ってもこれに近づけるのでは…」と思っているんだけどなかなかまだ遠そうです。
そして!ここにきて大きな問題が発生しました。パンを作って食べていたら太ってきた…。そういうわけで今日は6キロ走ってきました。パンを焼くために私は走る!